現代人の為にデザインされた瞑想法

現代人の為にデザインされた瞑想法

わたし自身瞑想が大変好きでこれまで愉しんで20年以上取り組んできました。その中で分かってきた要点のようなものが幾つかあります。

それらを以下にまず取り上げることでストレス多き現代社会に生きる人達のためにデザインされた「アクティブ・メディテーションがなぜ必要なのか?どんな瞑想法?」なのか簡単に説明したいと思います。

以下大切な瞑想の本質的なポイント👇

  1. 瞑想は「行為」ではなくて「状態」
    (瞑想は「する」ものではなく「起こるもの」)

  2. 「瞑想状態」と「瞑想法」の違い

  3. 瞑想に入る準備段階として必要な「身体を調えること」と「浄化」

  4. 瞑想は「修行」ではなくて、究極の「道楽」

👆の4つのポイントが瞑想をこれから取り組んでいく上でまず押さえておくと、瞑想状態の「味わい」や「体感」を遥かに得やすいです。

瞑想状態の体感や味わいが分かるようになってくると、とても氣持ちよく愉しいので無理して努力しなくても自然と継続できてしまいます。

(かくいう私も10代後半で一番最初に瞑想に出逢ってから数年は自分を律するという感じで「修行」のようにやってました。)

1.瞑想は「行為」ではなくて「状態」
(瞑想は「する」ものではなく「起こるもの」)

まず一番最初の大切なポイントとして、瞑想は「行為」ではなくて「状態」(「する」ものではなくて「起こるもの」)なんですよね。

努力して「しようしよう」とすればする程、瞑想状態からは遠ざかっていきます。何故ならその「する」という努力自体が、そもそも本来元々そこに備わっている瞑想という「状態」の邪魔になってしまっているからです。

これも瞑想を始めたばかりの人に良くありがちな傾向かと思いますが、基本的に瞑想とは本当に何もしないことを究極まで突き詰めていくことであって、Doing(すること)ではなく、Being(あること)のスペースに入っていくことです。

究極的に言ってしまえば、「瞑想」というものを頑張って、努力して「する」ことは出来ません。なぜなら「瞑想」は行為ではなくて、「状態」です。(何度繰り返しても良いくらい大切)
根本的に「瞑想」というものは起こるもの或いはすでに起こっているものだからです。

私たちにできるのは、瞑想状態に入っていく準備としてカラダとココロを調えたり、浄化していく事です。準備がちゃんと調えば、後は本当に何もしないで瞑想が自然と待つだけ。貴方が瞑想を追いかけようとしなくても、静かに待っていればちゃんと瞑想の方が貴方を訪れてくれます。

2. 「瞑想状態」と「瞑想法」の違い

「瞑想法」は「瞑想状態」に入っていく為のあくまで「架け橋」「※方便」です。「架け橋」「方便」ではあるのですが、最初から「瞑想の味わい」「瞑想状態」「ゼロポイントフィールド」「ワンネス」(色々な呼び方がありますが😅)の状態を日常生活の中で何もせず体感、味わう事は結構難しいのかなと思います。

殊に加速度的に情報が爆発しストレス多き現代社会の真っ只中で「瞑想法」などの技法を使わずに「瞑想状態」を体感する事は簡単とは言い難いでしょう。それなので日常生活の中で「瞑想状態」に入るコツ、体験がまだ無い場合まず最初は瞑想法を通じてその「味わい」や「体感」を親しむ事が必要です。

※方便:目的のために仮にとる、間に合わせの手段

3. 瞑想に入る準備段階として必要な「身体を調えること」と「浄化」

そうは言っても仏教のヴィパッサナー瞑想、禅の只管打坐(ただひたすら座禅すること)、クリヤヨガなどの静かな伝統的な瞑想法を「カラダとココロを調える事」と「浄化」の準備をせずにやってしまうと、おそらく大部分の人が瞑想は気楽で氣持がよい遊びのような「道楽」ではなく、自分を律して努力して修行する瞑想になってしまう事でしょう。

(そんな風に言う私も瞑想に10代後半に出逢いましたが、20代前半までは修行のように自分を律して努力して瞑想をしていました😅
その当時の事は👇の記事で詳しく書きましたので、もしご興味があれば読んでみてください。)

約二千年前ゴータマ・ブッダの時代の人々は自然の中で農作業などの肉体労働をしており、現代人より遥かに研ぎ澄まされた身体・肉体感覚を持ち頭脳だけに氣が滞っておらず全身に氣が巡っていた状態でした。
それなのでヴィパッサナーだけでも瞑想に自然と深く入っていく事ができました。

しかし現代社会は頭脳労働と情報爆発という状況にあり、伝統的な瞑想だけでは深い瞑想に入るのが困難なのは静かな伝統的な瞑想法に初めて取り組んでみた誰もが体験する事だと思います。

或いは自分を律して格好だけ瞑想したつもりになっているだけで、頭の中は雑念だらけで騒がしく大抵自然と本当の瞑想を起こっていないと断言しても良いでしょう。(自分がそうだったし、今だから瞑想したつもりになっていたという事が分かります。)

それなので、この情報爆発でストレス多き現代人の為にデザインされた瞑想法が必要となってくるのです。

前置きが結構長くなってしまいましたが、以上のような理由から『瞑想に入る準備段階として必要な「身体を調えること」と「浄化」』が瞑想法に組み込まれたアクティブ・メディテーションが必要なのです。

4. 瞑想は「修行」ではなくて、究極の「道楽」

修行のように自分を律して努力して瞑想したつもりになってしまうスタイルではなく、子供がオモチャで無我夢中で遊んでいる内に身体が調い、チューニングされて瞑想というものが本当に自然と貴方にプレゼントとして贈られてくるような瞑想法です。それは究極の道楽のようなものです。

アクティブ瞑想を通じて、そんな味わいを少しでも体験してもらえたら大変嬉しく思います。