私が興梠先生とフランスでそして日本でお会いする機会を得たのは、25年前、イトオテルミーに出会ったことがきっかけでした。そして興梠先生がヨーロッパに来てくれることになりました。
そのときイトオテルミーのアドバンス・コースを企画し、練習生や私自身が彼の教えを受けられるよう、「なつかしリトリート」を開催することになりました。
彼のセッションはどれも、自由さ、正確さ、強烈な熱の伝わり方、スピード、そして常に深い瞑想状態と結びついていることに驚かされました。
興梠先生と過ごしたこの数年間で、私はイトオテルミーと瞑想の密接な関係、施術セッション中の臨場感、そして自分のハラの中にいるという意識が大切であるという事を理解することができるようになりました。ところが興梠先生は、技術を越えたものがあることも見せてくれました。それは患者やパートナーの顔が、まるで扉を開くように変化していくのでした。
何年もの間、その瞑想的な伝授(トランスミッション)は、音やタッチを使ったシンプルなエクササイズ、古代ムーの瞑想を体験するという可能性を通して、私自身をとても深いところまで導いてくれました。時間が止まっているように思えたり、ゴングの音だけで、「過去・現在・未来」が絡み合った別の場所に導かれました。そしてただ「今、ここ」に存在していることに、人生への感謝の念を感じるような、不思議な瞬間が沢山あったことを覚えています。
興梠先生と共にいることは、とてもシンプルで、長い間会っていなかった友人と再会したようなものであると同時に、恩寵の中にいるようであり、内なる視野の変化であり、そして人生の意味を深く理解することでもあります。
興梠先生はある時言いました。 「実際、人生のすべての出来事は、自分が生きているという事実をその都度認識できるように、自分に起こるのです」
私が理解したのは、人生に何が起ころうと、何をしようと、何を感じようと、私たちはいつも自分自身に、自分自身の中心に戻ってくるということです。そしてその中心にあるのが 「なつかしさ」だと思います。 この中心には光があります。動かないもの、変わらないもの、不変のもの。決して死なないもの。。。 私が炎と呼ぶもの、生命の不二なるスパーク。そして興梠先生は私たちをこの空間へと導いてくれます。彼に出会えることはかけがえのない贈り物だと思います。