your own original nature
この世に生まれて忘れ去られてしまった本来の「あなた」を思い出すためのリトリートです。
そもそも初めてこの「なつかしいリトリート」を開いたのは1996年のインドでした。
それからヨーロッパで開催して24年、25年くらい経ちます。
「なつかしいリトリート」というものを初めて聞く方には、なぜ「なつかしい」なのかなと思われるかと思うのですが、
「なつかしい」というのは、英語だとComing back to yourself, Going homeもしくはReturning to original “you”という色んな言い方がありまして、普通イメージする「ノスタルジー(nostalgy)」だけではないんですよね。
簡単に言いますと、あなたごこの世に生まれて本当の最初の(オリジナルな)「あなた」というのは、随分忘れ去らされて、
それで社会人になったり、結婚生活だったり幸せだったらいいんですけど、苦しかったり、生きづらかったり何だか心の底から喜べなかったりという色んな場面に直面している時、『私の本当の私はどこにあるの?』っていう風な事に考え至るようなきっかけは殆どないんです。
それを「なつかしいリトリート」で『そうだ。私も彼もあの人もみんな本当はこういう存在として生まれてきたんだな』という事を実感してもらうリトリートが「なつかしいリトリート」なんです。
また「なつかしい」という言葉はいま言った通り、例えば故郷に帰って『この景色懐かしいな。ここだったよなぁ』という「なつかしさ」もあれば、
「そうだ。そうだ。私はこんなロマンチストだったんだ」とか「こんなにタフな面もあったんだ」とか、本来の、オリジナルな自分に戻っていった時殆どの方は驚きます。
それを3日間、場合によっては4日間それぞれその都度パートナーを選んで、「歩く」「横たわる」「座る」「声を発声する」「黙る」「触れる」「触れられる」「見つめる」「見つめられる」
「わたし」と「あなた」
それが溶けていく。
果たしてあなたの眼をアイコンタクトして、どっちが見つめているのか
あなたがわたしを見つめているのか、見つめられているのか
あなたの身体にそぉーと触る、触っているのか、もしくは触らせられているのか
もうちょっとしたら、パートナーでやり方を交代するから
「触れているのか、触らせているのか」
そういう所有をなくしていく。
とにかく触れていることが事実だという究極の同一「ひとつ」に辿る旅を始めます。
この事は、もちろん「立つ」「座る」時もどうだし、それから「人の声を聴く」「自分の声を出す」
それもそうだし先程まで出してた声を静かぁーに黙って反芻するもいいし、その静寂もいいです。
尽(ことごと)く、本来のあなたに還っていく旅を手伝います。
誰が? いやぁこの興梠守も手伝いますけど、その時その時で出会ったパートナーも手伝ってくれます。
「手伝っているのか?手伝ってもらっているのか?手伝わされているのかな?」
「いやぁどうでもいいや。素敵だから」
そういう風にどんどん所有がなくなっていく。
わたし、あなた、彼、彼女がなくなっていきます。